Thursday, August 21, 2008

urbanisasi dunia tidak lah seburuk yg anda sangka

現在の地球の人口の半分以上は都会に住んでいると言われている。そして、毎年都会に住んでいる人は増え続くと予想されている。この「田舎から都会に」という変動は「自然から逃げる」とも呼ばれている。この「自然から逃げる」という言葉は、非常に悪いイメージを持っている。その悪いイメージが付く理由としては地球の表面を都会化にするため自然を壊して環境を変えなければならないからだと考えられる。

  しかし、地球の工業化と都会化の成長の一般的な過程は環境に影響を与えるが、あらゆる問題について、かならずしも都会を非難すべきではないと思う。都会は汚い廃棄物を出す工場ではない。都会は高密度における人々の集まる、かなり環境にいい場所である。なぜなら、田舎のように広まった所で住むより、都会で一緒に群生する方がはるかに少ないエネルギーを使用することができるからである。

  人間がより多く都会に住めば住むほど、効率の高いレベルのエネルギーの使い方、そしてより低い無駄遣いを抑えることができる。減退しているコミュニケーションと輸送のコストで、都会はこれまで以上に重大になった。都会は知性の扉になり、新しい技術の開発をより早く、そしてより効率よくできる。そういうものとして、都会は人間資本(human capital)と革新を作り上げる知的な接続を創造する。

  市街化の普及は途方もないほど有益な過程である。都市の人々はより経済的でそして生産的で生活と仕事をすることが出来る。都市の密度は何百年間もの革新の源泉だと思う。都会には貧困、汚染、および病気のような問題が悪評につながりはあるが、その問題の原因は都会だと言えない。

  言い方悪いかもしれないが、都市が人々を貧しくするから、貧民がいっぱいであるのではなく、都市が貧民を引き付けるから、都市は貧民でいっぱいである。都会は悪いから来るのではなく、都会は良い環境性質を持っているから何百人もの人々が都会に集まりに来る。取引と振り合いの機械を求め、郊外に来る農村からの出稼ぎ労働者にとって都会とはより輝く未来を提供する場所であろう。また都会は、他には手に入れない公共輸送と最低生活保障福祉計画などもある。

  我々人間は社会的な種であり、そして私たちの最大級の実績はすべて協力的である。都市は、協力的である共同作業をより簡単にするためのマシンであり、人間類の発展に欠かせないものになっている。

  人間は非常に強い柔軟性を持ち、環境の変化に合わせて自分の習慣を変えていく。よりいい生活の性質を掴むには自然に戻るのではなく、このまま地球が都会化的に進むべきだと思う。しかし、原料として使えるものは自然の中にたくさんあるから、自然の回復と調整して、自然を効率よく使用するべきだと考える。自然は人間のためにあるから、その逆ではない。

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